こんな地震とは露知らず

 首都圏を震度5地震が襲った。足立区では震度5強、住んでいる江戸川区では震度5弱だったそうだ。江戸川区では鉄塔が倒れたり、立体駐車場から車が落下したようだ。火災が発生した地区もあり、エレベーターが止まったりと大騒ぎだったらしい。災害に弱い東京の交通網は数時間にわたって止まっていたようだ。
 地震の情報はすべて伝聞でしか知らない。地震があったことは知っていた。でも、こんなに大騒ぎになっているとは知らなかった。
 地震があったとき、新宿の高層ビルにいた。都庁近くにある新宿パークタワーという52階建ての高層ビルだ。52階建ての高層ビルにいたのだけれど、地震が発生したときには3階にいた。だからさほど揺れなかった。最初、大勢の人が通るから床が揺れたのだと思った。大層なビルなのにちゃちな造りだなと思った。でも、小さな揺れのあと大きな揺れが来て地震だとわかった。
 確かに揺れた。悲鳴を上げる女性もいた。壁にすがりつくわざとらしい女もいた。でも、東京の地震は茶飯事。ボクは阪神淡路大震災の被災者でトラウマも残っているが、この程度のゆれでは驚かない。
 新宿パークタワーには家具メーカーのショールームが集まっている。奥様と二人、地震のあとものんびりとショールームを見ていた。奥様の携帯にメールが入った。何通も大丈夫?と安否を確認するメールが入っていた。ボクの両親と妹からも入っていた。ボクには来ないのに……。ともかく、そのメールで震度4という数字と震源地が千葉県北西部であることを知った。震度5という声もショールームの客の会話の中に出ていたが、震源地の震度だと思っていた。まさか23区で震度5強を記録していたとは思わなかった。
 新宿パークタワー新宿駅から歩いて15分ほどかかる。疲れていたので新宿パークタワー新宿駅を結ぶ無料送迎バスに乗って新宿駅に戻った。新宿駅には人があふれていた。さすがは土曜の夜の新宿だと思った。奥様がすれ違う女の子が「今日の新宿はやけに人が多い」と携帯で話していたといった。夏休み最初の土曜だし、涼しいし、人が繰り出してきたのだろうと思った。
 新宿について夕食。地下にある「大戸屋」という定食屋に入った。ボクはチキンカツ丼、奥様は野菜カレー。20分も待たされ、二人で文句をいっていた。奥様も東京の飲食店ののろさにはさすがに頭にきているようだった。
 食事のあと、小田急百貨店京王百貨店の家具屋を見て、ヨドバシカメラによった。ヨドバシカメラではPS/2対応のPC自動切替器とマウスを買った。もうくたくただし、7時半過ぎているし、帰ることにしてJRの改札を通った。JR総武線飯田橋に出て地下鉄東西線で帰ろうと思ったのだ。
 総武線のホームに上がろうとしたら、山手線が止まっているとか構内放送が叫んでいた。そこで初めて地震の影響で首都圏の交通網が麻痺していることを知った。
 JRはだめなので地下鉄で帰ることにした。都営新宿線に乗ろうと京王新宿新駅に向かうと、改札が人であふれていた。駅員に問い合わせる人、JRからの振り替え輸送の証明書をもらう人で一杯だった。JRがだめなので地下鉄に人が流れているのだ。しかし、その地下鉄も動いてはいるが遅れていた。
 疲れているし、あわてて帰ることはないし、新宿でもうしばらく時間をつぶそうとパン屋の喫茶部に入りアンパンを食べた。小一時間時間をつぶして再び改札に行くと、人の数は減っていた。地下鉄は遅れてはいるが動いているようである。帰ることにして改札をとおりホームに下りた。ホームも人でごった返していたが、5分ほどで電車が来て乗ることができた。九段下まで都営新宿線に乗り、東西線に乗り換える。乗り換えはスムーズに行った。しかも東西線に座れた。携帯電話を触っていて他の客に怒られて少し嫌な思いはしたけれど、楽に帰れた。新宿で時間をつぶした甲斐があった。
 家に帰ってインターネットで地震情報を見た。そこでようやくことの大きさを知った。東西線が復旧したのもボクらが乗る20分ほど前だったこともインターネットで知った。地震発生後、4時間ほどほとんどの鉄道が止まっていたのだ。だから新宿は人で溢れていたのだ。皆、動けなかったのだ。
 そんなこととは露知らず、ボクらはショッピングを楽しんだ。モノを知らないというのは幸せなことだ。