ブログでボクは分裂する

 日記を書くにもいろいろスタイルがある。ペンで日記帳に書くのがスタンダードだろうが、今はパソコンで打つ人もいる。パソコンで打って自分が見るだけの人がいれば、インターネットで公開する人もいる。
 インターネットで公開するのもいろいろ手段がある。メルマガ、ホームページ、掲示板。今はブログが全盛だ。
 先々週からブログで日記を公開しようとした。でも続かなかった。日記自体はこうして続いている。ザウルスを新調してからは書く頻度も高くなっている。でもブログには書き込まない。
 ザウルスで書いたものをパソコンで読み込み、ブログの新規投稿ボックスにコピーすればいい。それだけだ。毎日やらなくても、二日おき、三日おきにできそうなものだ。でもやらない。
 HTMLのタグを書き、ホームページスタイルで公開していた時の方が公開の頻度が高かった。意欲もあった。ブログだと初めて早々サボっている。テスト用に書き込んだものだけである。
 ところが、日記ではない私家版携帯端末考の方は小まめに続いている。サービス提供側のトラブルで中断はしたものの、ほぼ毎日書き込みをしている。日記はダメ、私家版携帯端末考はOK。なぜ?
 日記は内に向かって書く。公開はするけれど、自分の記録として、自分の思いを残すために書く。否、残らなくてもいい、心の内を外に出して身軽になるために書く。
 書いている時は人に読まれることをほとんど意識していない。公開する前に読み返し、削除したり手直ししたりするが、書いている時は自分のためにだけ書いている。後から読み返すことも意識せず、ただ心のうちを吐露していく。最近は心のうちを吐露するよりは、見たことあったこと感じたことを書いているだけだが。
 ともかく、日記は自分の中で完結する。
 ところが、同じ出来事を書くにしても、ブログの投稿画面に向かうと表現が違ってくる。選ぶ言葉が違ってくる。ブログを書く時は明らかに外に向かっている。情報を発信しようという意識がある。日記ではデアル調だが、ブログに直接書き込むといつの間にかデスマス調になっている。読み手に問い合わせるような言葉を使う時もある。ブログを書く時はついよそ行きになってしまう。
 ブログは書くだけでは完結しない。反応が欲しくなる。反応を期待してサービスしてしまう。脚色すればもはや日記とは言えない。
 ブログはオンラインで書く。日記はオフラインで書く。オフラインで書いてから投稿すればいいのだが、加筆とか修正はオンラインになってしまう。
 オンラインは緊張する。1秒いくら1分いくらでパソコン通信してきた習性が残っている。ADSL定額制なのに、オンラインは緊張する。緊張と言ってもわずかなものだが、小さなストレスになっている。
 ブログでオンラインで書く時、ブラウザの中のテキストボックスに書き込む。これがまたストレス。微妙に反応が遅いし、狭い中に書き込むのでパソコンできているとストレスになる。そう、書くというより書き込むだ。
 書いたものをアップする。誤字脱字、変な言い回しを見つけ修正する。サーバーにあるデータを修正する。
 ブログのデータはサーバーにある。手元にはない。オフラインで書くのであれば手元にテキストデータが残る。すると修正はサーバーのデータと手元のデータと同時にやらなければならぬ。手間だ。
 タグ打ち、つまりHTMLで書いてアップする形であれば、手元のHTMLが元テキストとなる。手元のHTMLを修正してアップロードする。修正の作業は一カ所だ。
 ブログはテキストがサーバーにおかれる。オフラインで書けばオリジナルは手元に残る。でも整合性があるかどうか怪しい。オンラインで修正すればオリジナルと違ってくる。それに、必ずしもオフラインで書いて投稿するだけではない。オンラインで日記とは別に文章を書く時がある。ブログの日記はオリジナルの完全なるコピーではなくなる。
 自分の分身である日記をサーバーに書き込むことは、自分をコピーするに等しい。そのコピーがオリジナルとずれが生じてくる。そしてレンタルサーバーの上に置かれて不安定である。サービスを打ち切られれば、コピーは消える。
 分身のコピーが変形し、その存在は不安定である。自己を引き裂いた上に、引き裂いた自己は変形していく。そして他人の所有物となる。自己が引き裂かれ、変形し、自分のものでなくなる。自分の分身が別人になってくる。
 だからブログの日記は落ち着かない。