『バーバー吉野』2004日
小学生までの男の子はみんなオカッパ頭という因習が残る山村。オカッパ頭に刈るのは『バーバー吉野』。男の子はみんな『バーバー吉野』に通う。
そこへ東京から茶パツの転校生が越してくる……となれば話の展開は読める。『スタンバイ・ミー』と同じ世界も展開する。
WOWOWガイドの解説によると、もたいまさこがいい味を出しているあった。いい味とほめるには中途半端だ。出し切れてないような気がする。脚本か演出かどちらかが彼女を殺している。道化役の狂人が登場するがこれも中途半端。というかあざとい。半端だ。
亭主役の男優がさらりといい味を出している。というか明日は我が身と思うと目が離せなくなっただけかもしれない。会社を首になったことを言い出せない気弱な亭主。ボクだっていつ首になるやもしれぬ。首にならなくてもいずれリストラされるだろう。その時、奥様に言えるだろうか。
亭主も言おうとする。でも、タイミングが悪い。子供が帰ってきて妻は子供を叱ることに夢中だ。言葉を飲み込んでしまう。
その姿をみて、やはり悪い話は一分でも早く言うべきだと思った。言えるならばの話だが……。
亭主は父親として背伸びをしようとする。悩む息子に何かいい言葉を授けようとする。そして出てきた言葉は、
「人は置いてけぼりになっても髪の毛は伸びる」
生きなければいけないのである。「それでも人生は続く」し、「生きられない」と思っても生きてしまう。ホームレスの人生になっても人は生きるのである。どうせ生きるのなら、好きな世界に浸って生きていきたい。でも、そのためには強くなくてはいけない。強いなら生きることに悩まない。
だったらどうすればいいのだ?
『バッファロー’66』(BUFFALO '66)1998米
「生きられない」
ファミレスのトイレで男がうずくまる。短気で見栄っ張り。だから口から出るのは大法螺ばかり。でも、小心だから何もできずに、自責にかられる。見ていて腹が立つ。でも、「生きられない」とうずくまられると身につまされる。ボクも小心だ。法螺は吹かないけれど、何もできない自分が嫌で仕方がなく、何もできないと思うと、生きていく自信がなくなる。「生きられない」とまでは思わないが、生きていることが不安になる。
けばけばしくてグラマーないかにも男好きしそうな女がヒロイン。母性本能なのか、男の欠点を全て知りながら恋に落ちる。安易。この二人、とても幸せになれるとは思えない。この二人のその後が、『東京ゴッドファーザーズ』のある夫婦ではないだろうか。
『東京ゴッドファーザーズ』2003日
描かれる東京の風景がリアル。実写した物に色を塗っている感じ。見慣れた上野や御徒町界隈の風景だけにリアルさを感じた。
話は出来過ぎ。偶然の連続。偶然が多すぎる。偶然を引くと何も起こらない。主人公たちは必死にもがき、動くが、彼らの運命は偶然のみが支配する。自ら切り開いたものは何もない。へどを吐きながら走り続けているだけ。
しかし、何かひかれる。なぜだろう。この世の中、ボクだってホームレスになる可能性がある。ホームレスへの恐怖。気が気でない。彼らの人生が気になり、映画から目が離せなくなるのだろうか。
『下妻物語』2004日
ダサい。話も月並み。でも面白い。馬鹿馬鹿しくて面白くて泣けた。見え見えダサダサのお涙頂戴物なのに、引っ掛かってしまった。クライマックスでは感動すらした。やられた。
なぜだろう。ヒロインの二人が一途だからだろうか。一途というと、純粋で汚れがなくてという感じだが、二人は純粋ではないし捻くれている。でも、決して自分を曲げない。他人を受け付けない。孤独になろうとも信念を貫く。否、信念ではないな。自分の好きなことを、楽しいことを貫き通す。貫き通すための苦労や孤独などものともしない。彼女たちは熱い。でも熱くなろうとしていないし、熱くも見えない。だから気持ちいい。
孤独、涼しげ。ボクの求めるものだ。
深川恭子、土屋アンナ、篠原涼子が熱演。3人共かわいい、きれいだけじゃない。